先日、JR浦和駅近くの居酒屋で、秩父高校同期の浦和会なる集まりがあった。出席者は11人、さいたま市近傍以外からが半数以上を占め、千葉県や神奈川県在住者もおり、遠くは横須賀や横浜から参加した。私も片道1時間40分かけて出席した。
飲んで雑談し、その後は有志のカラオケで終わるのが通例だが、私は幹事さんの許しを得て、鬼籍に入られてしまった高校時代の友人2人に関し、簡単なレジュメを用意し、それぞれ10分程度の話しをする機会をいただいた。出版物や資料も持参し回覧した。
高校1年時同クラスのN君は、生前、『若年性アルツハイマー型認知症と診断された妻とともに―七五調でつづる挑戦の記録(仮題)』をぜひ出版したいと望んでいた。私のところに自分で綴じた2冊の分厚なワープロ打ち冊子を送ってきて、目を通し修正と指導を得たいということだった。出版が可能かどうかの検討をしているさなか、彼の体に悪性腫瘍が見つかり、奥様を特養施設に残して旅立ってしまった。
2年時同クラスのS君は、早稲田大学文学部に入学したが、同級生に沖縄出身で全盲のM君がいた。点字の教科書はなく、S君は彼のために教科書を作ろうと仲間を募り、早稲田大学点字会を創設した。しかしM君は4年時の8月15日に自死してしまう。S君は、彼の遺品の中にあった短歌集の原稿を、何時の日か刊行したいと思っていた。本が出版されたのはS君が悪性のがん宣告を受け、逝去する1年前である。彼が監修した短歌集は奥様から私にも贈られてきた。
さらにS君は大学卒業と同時に結婚するが、奥様は点字ボランティア活動で知り合った全盲のソプラノ歌手として有名な方である。S君は、千葉県内の定時制高校の教員2年を経て東京教育大学付属盲学校の国語教師となり、爾来30年に渡って国内外で活躍する多くの視覚障がい者送り出した。そのなかの一人に、高等部2年の担任以来支え続けてきた盲ろう者で初の東京大学教授となられた障害学専攻のF先生がいる。
人生の多くの時間を視覚障碍者と盲ろう者のために捧げたS君は、「第49回点字毎日文化賞」を受賞し、生前の功績に対して瑞宝小綬章が授与されている。
この二人以外にも伝えておきたい同期生がいるが、またの機会を待ちたいと思う。
・新涼のヨットハーバーはためく帆 ・公園のカンナの黄色よき日和
・父の盆胡瓜の馬と茄子の牛 ・鷺草の飛翔よ待てととの曇り
・長江に一葉のひらり旅万里 ・草原に馬頭琴の音秋立ちぬ